お仏壇って何だろう?

日本で仏壇がまつられるようになったのは、1300年ほど前

日本で仏壇がまつられるようになったのは、1300年ほど前、白鳳年間に天武天皇が「諸国家毎に仏舎を設け、仏像及び経巻を安置し、以て三宝を供養すべし」と命じたことに始まる、と言われています。

しかし、その頃はごく限られた裕福な階級や、諸国の国司・役人だけが仏様を祀っただけですから、今日一般家庭で見るような仏壇の直接の起源とは考えられません。

全国的に仏壇が庶民の家でおまつりされるようになったのは江戸時代になってから

全国的に仏壇が庶民の家でおまつりされるようになったのは江戸時代になってからです。
それは、徳川幕府のキリシタン禁制と民衆の統制を目的とした「宗門改め」の政策が関係していると思われます。お寺が戸籍を掌握するため、人々は各家ごとに所属の寺院を定めねばならず、仏教徒であることの証明として半ば義務的に仏壇を置かざるをえなかったのだと推測されます。

また、幕府の政策とは別に、浄土真宗が仏壇の普及に果たした役割は重要です。
真宗は在家主義を強くおしすすめ、「講」と呼ばれる組織を発達させました。講の開かれる家は寺院の代わりとしての役割を担うことになったため、仏壇を置く必要があったのではないでしょうか。

こうして、真宗では各家に仏壇を備えることが広まり、他宗にも影響を与えていったのです。

現在の仏壇はどのように形成されてきたのか

では、現在我々が見るような仏壇はどのように形成されてきたのでしょうか。

そもそも、日本では家の中に氏神や祖先をまつるための、いろいろな形の祭壇を置く風習がありました。この祭壇が、室町時代になって「書院造り」という住宅形式ができた時に、仏をまつる場と結びつき「床の間」として晋及したのです。昔は床の間に仏画を掛け、花立て・香炉・燭台の三具足あるいは五具足を置いて、日常的に礼拝していました。床の間の出現により、仏像を礼拝しお経をあげることと、先祖を大切にする日本古来の風習とが強く結びつき、位牌や過去帳なども置く今日の仏壇の基礎ができました。

そして、徐々に人々の生活に根付いていったと考えられます。

その後、床の間は、神をまつる神棚と、仏をまつる仏壇に分離したのです。

仏壇の構造は仏教で説く世界のすがたをあらわしている

そんな仏壇の構造は、宗派の違いや仏壇の大きさなどの違いから若干異なる場合もありますが、原則的には仏教で説く世界のすがたをあらわしています。仏壇にとって重要なのは、なんといっても中央部にあって本尊を安置している台座で、「須弥壇」と呼ばれます。その名は須弥山(しゅみせん)からきています。

古代インドの世界観によれば、世界の中央には須弥山という巨大な山があり、その頂上には帝釈天が、中腹には四天王が住み、ふもとは四大州といって、人間が住んでいるとされています。仏壇の中の須弥壇の上は、この須弥山の上を表し、人間の世界を超えた尊い場所、つまりこの壇の上に仏様をまつることによって世俗の世界を超越した、理想の世界にいる仏様を礼拝するという意味があるのです。